おかえりの練習

 

その子は
あまり感情を出さない子でした。

 

家に来たばかりの頃
仕事から帰ってきても
こちらを見ることはあっても、近づいてはこない。

 

しっぽも振らないし
鳴くこともない。

 

ただ、少し距離を置いて
静かにこちらを見ているだけでした。

 


 

「ただいま」

 

何となくそう声をかけてみても
その子は表情を変えない。

 

それでも
毎日同じように言い続けていました。

 


 

ある日。

 

「ただいま」と言った瞬間
ほんの少しだけ
しっぽが動いた気がしたんです。

 

気のせいかもしれない。


でも、その小さな動きが
なぜかとても嬉しかった。

 


 

次の日は
少しだけ近くまで来てくれました。

 

玄関の手前で立ち止まって
じっとこちらを見る。

 

それだけのことなのに
心があたたかくなる。

 


 

それから、少しずつ。

 

しっぽの動きが大きくなって
距離が少しずつ縮まっていって。

 

気づけば
玄関まで来るようになっていました。

 


 

そして、数か月後。

 

扉を開けた瞬間
あの子は全力で走ってきました。

 

滑りそうになりながら
それでも止まらずに。

 

まっすぐこちらへ。

 


 

「ただいま」

 

そう言うと
その子は何度も何度も
しっぽを振りました。

 


 

ああ、と思ったんです。

 

この子はずっと
おかえりの練習をしていたんだって。

 


 

うまくできなかった日も
きっと、全部その途中だった。

 


 

その日から
玄関の時間は
少し特別なものになりました。

 


 

今日もまた
扉を開けて言います。

 

「ただいま」

 

するとあの子は
嬉しそうに走ってきます。

 

もう、迷うことなく。

 

おかえりの練習
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